日本の教育では、「不愉快なことを堪えると褒められる」。これを小学校から徹底して刷り込まれるので、不合理と感じることでも、みんなと同じ思考と行動をしたがる人間が量産される。先生と呼ばれたいが為に資格を取った凡庸な能力の教員族は、不合理で、なおかつ不快な課題を生徒に強いて、それでも課題をクリアする生徒に良い点数を与える。小学校から中高年が行く訓練校まで。
テニス亜種の庭球作法においては、『ガットはり』と称する、その上の優れたものより劣るものを買うのが良いこととされる。すなわち、それが他者から褒められる行動で、自分に有利と考えるのです。庭球は集団行動なので、自分だけが合理的な行動をするのは悪目立ちするから危険。違うけど良いもの、真に優れたものを求める思考は、村八分になる危険性が高まるのです。『ガットはり』と称するものを買う人たちは、自分をエゴサーチするがごとく、周りからの評価を常に気にして過ごす。
何が本当に正しいのかではなく、何をしたら自分が得をするかをテーマに、限られた寿命を生きている。